ネコ写真_2:レイチェル・カーソン

メリーランド州の自宅にて、1962年。
写真家はあの「対日戦勝記念日のキス」("The V-J Day Kiss")で名高いアルフレッド・アイゼンシュタット。
この写真のネコの名はモペットさん。

このLife誌に掲載されたカーソンの写真についての指摘。

カーソンとその『沈黙の春』についての多くの報道と同様に、『Life』誌もカーソンのポートレイトを掲載しているが、プロフェッショナルな科学者として彼女を撮影したものはほとんどない。ラボで白衣に身を包んだ威厳のある姿であるとか、火山の噴火口を覗きこむ勇猛な姿といった、ありがちなプレス・リリース的な写真も一枚もない。その代わり、写真の中のカーソンはいつも彼女のネコといるか、あるいは森の中で子供たちに自然の不思議を語りかけている。顕微鏡を前にして撮影されたものは異例である。こうした写真は、暗にカーソンを科学の世界の住人としてではなく、田舎の女教師のように描いているのである。彼女は教師であり(たしかに一部の者にとっては破壊的で危険な指導者ではあったが)、有意義な科学研究に携わる者ではない、というわけだ。

Lisa H. Sideris, Kathleen Dean Moore, Rachel Carson: Legacy and Challenge, SUNY Press, 2008, p. 176.

レイチェル・カーソンとネコ。

彼女は大学新聞『Arrow』と文芸クラブ"Omega"でも文章を書いている。大学新聞では、ネコの「誰にも遜色なく独立不羈に生きる」権利についての文章を発表している。その中に描かれるネコのように、彼女はあたたかく親しみやすい人柄ではあったが、決然とした個人主義者であった。

Ginger Wadsworth, Rachel Carson: Voice for the Earth, Twenty-First Century Books, 1992, p. 22.

そして『沈黙の春』(1962)に描かれたネコ(拙訳)。

害虫との戦いが始まって以来、シェルドンの一帯でネコの姿が見られる農場は稀になっていた。農場のネコの95パーセントはジエルドリン(殺虫剤)の散布の犠牲となったのだ。この事態は他地域の記録から予期できたことだった。ネコたちはあらゆる殺虫剤、とりわけジエルドリンに対して極めて敏感だった。ジャワ西部においてWHOによるマラリア撲滅作戦が行なわれている間、多くのネコの死亡が報告されている。ジャワ中央部ではあまりに多くのネコが死んだために、その値が二倍以上に高騰した。同様にヴェネズエラではWHOの薬剤散布によりネコの頭数が激減し、稀少動物の扱いを受けるようになっていた。
……こうした殺虫剤は選択的な毒物ではなく、標的となる種のみに効果を発揮するわけではなかった。これらは強力な毒性を持つという、それだけの理由で使われたのだった。そのため触れるものすべてを侵していったのである。家庭で愛されていたネコ、農家の牛、平原のウサギ、そして空から舞い下りたハマヒバリ。彼らは人間に何の害悪ももたらすことはなかった。

Rachel Carson, Silent Spring, Houghton Mifflin Harcourt, 2002, pp. 93-94, 99.