血液型による「差別」、あるいは私はどのように血液型占いを理解しようと試み、ほぼ傍観者と称しうる存在としての自己を見出しかけたか

差別、とまでいわれるからにはそういう差別はあるのも知れない。自分は見たことも聞いたこともないが、想像できないほど突飛なものでもない。幸いにして何型がどういう性格、とか相性がどうこう、といった話題には参加したことがないので (というか興味がないので聞いたとしても忘れている)、若干おかしな認識をしているかも知れないが、はっきりいえば (私にとって) 血液型はそのものからして、輸血や手術などといった事態に遭遇するまでは妄想かオカルトに過ぎないのだろう。そういう認識が褒められたものであるかは知らない。

以下は何ひとつ調べも考えもしていない日本語の練習。

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Gmail のアカウントを乗っ取られてから取り戻すまでのあれこれ

Gmail アカウントを乗っ取られたことに気づき、最終的に Google に連絡して取り返すという経験をしたので参考までに記しておく。実は「あれこれ」というほどいろんな出来事はなかったのだが。乗っ取られたアカウントは自分が管理しているウェブサイトの連絡先として取得したもので、普段使っている自分のアカウントではなかった。結果的にはこのことがいろいろと幸運だった。

※末尾に追記したが、悪意ある「乗っ取り」であるかどうかは厳密にはわからない。ただし回復した過程から判断すれば自分が正当なアカウント所有者であると判断されたようだ。

1. 乗っ取りに気づく

件のアカウントはあるウェブサイトの連絡先としてサイトに表記し、寄せられるメールはすべて自分の普段用のアカウントに転送する設定にしていた。今思えば日常的に送られてきていたスパムが途絶えたのが乗っ取りの予兆だったのだが、転送設定にしていたためにわざわざログインすることはなく半年以上放置状態になっており、アカウントの状態を知らぬままに過ごしていた。発覚のきっかけはつい最近取得した twitter のアカウントにそのメールアドレスを登録した際、送られてくるはずの登録確認メールがいつまでたっても到着しなかったことである。

何かおかしいと思って問題の Gmail アカウントにログインしようとすると、何回ためしてもログインできず、パスワード再設定の操作をしても確認メールが送られてこない(パスワード再設定用の連絡アドレスには自分の普段用のメールアドレスを登録していたはずであった)。この時点で絶望的な気分になったが、よもやと思い別のアドレスからアクセスできないメールアドレスにテストメールを送信してみたところ、何と「ただいま休暇中につき返信できません。休暇明けに返信します。」という英文の自動応答メールが返ってきたのである。これを見てようやくアカウントが完全に盗まれていたことを把握。自動返信の署名をみると、どうやらその時点ではニューヨークの企業が使っているようで、企業名はまさしくそのアカウント名と同じであった。

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地震を直前に察知する犬 ?

http://www.youtube.com/watch?v=FV4EMzyJsqU


上記の動画はよく見ると犬が飛び起きた時点ですでに初期微動が始まっていることが分かる(映像右上の天井の線のような部分に注目していると分かりやすい)。柱の陰の男が立ち上がる前に椅子を動かすのもほぼ同じタイミングだが、彼も微動を感じていたのかどうかは分からない。むしろ犬の挙動を不審に思ったのかもしれない。

調べてみたページに、地質によって状況は変わるが P 波と S 波の到達時間の差(秒)に 5 をかければだいたい震源までのマイル数程度になるという目安が紹介されていた。映像の時刻表示から犬の反応と大きな揺れの時間差を 5.5 秒とすると、震源までの距離はだいたい 42 km となり、これは実際の距離 43 km とかなり近い。

おそらくこの犬は特別な能力を発揮したわけではなく、「地震動を早期に感知した」というのが真相だろうが、そうはいっても微動を感じた瞬間に一目散に駆け出すというのは人間には難しいかもしれない。

参考:

たわけ者の正体

メモ:

「たわけ者」は「戯け者」であって「田分け」が語源というのは俗説(か言葉遊びの一種)。

「くだらぬ」については江戸と上方の関係に由来するというのは大方正しそうだが諸説あっていずれも定説とはいえなそう。酒絡みの語源説はよく聞く。

関連:

ヴァチカンから観た『アバター』

イタリアでも『アバター』が公開を迎えたが、ヴァチカンのメディアは不満なようだ。騒ぎ立てるほどの傑作ではない、という意見に同意する向きは多いと思うが、カトリック的にはどうやら自然(あるいはエコロジー)を聖なるものとして崇めるという主題の方向性も「異教的」なものに過ぎるらしい。

アバター』の「自然」描写は宮崎駿を下敷きにしているのだろうとは思っていたが、確かに自然=被造物という観念を前提としない文化に親しい者の方がすんなりと入り込めそうな作品世界ではあるように思えたし、逆にキリスト教世界にとっては「気になる」要素が多い映画だったのかも知れない。

個人的な感想としては、『アバター』はシガーニー・ウィーバーのタバコが印象的な映画で(も)あった。

参考:

saucissonage

Wikipedia フランス語版のある記事の編集履歴を見ていると、

saucissonage inutile

とのコメント付きで節分けを変更した履歴があった。saucissonage というのが咄嗟に分からなかったので調べてみると、語義的には

Découpage, répartition en plusieurs tranches.

のくだけた表現とのこと (Le Petit Robert)。なぜ saucisson か、と思って検索してみたら以下のような報道記事があった:

Les traumatismes du saucissonnage

Ce sont des affaires dont on parle à voix basse. « J'en connais », confie cet élu, expliquant compter en effet dans ses amis des « victimes de saucissonnage », un cambriolage particulièrement violent durant lequel les agresseurs pénètrent dans une maison et ligotent leurs victimes pour être tranquilles et leur faire dire où se trouve le magot.

つまりこの場合の saucisson はこういった種類か。


bake one's noodle

とあるサイトを眺めていたら

What's really baking my noodle is...

という表現があって、なんのこっちゃと思って調べてみると

use one's noodle = use one's brain (or head)

から派生した表現で

bake one's noodle = really confuse someone

ということらしい。脳味噌がそれっぽいからか、と思ったらそういうわけでもないらしい。

参考: