ネコ写真_4:パメラ・ターナー(Pamela Turnure)

1961年1月26日、ワシントンDC。写真家はパウル・シュッツァー。
ネコの名は不明。そしてネコを抱えている当時23歳のPamela Turnureの姓の発音をはたしてターナーと書くべきなのかもよく分からない。
ただ、彼女がなぜ居並ぶ記者の前に緊張気味に立っているかについては比較的よく分かっている。これはジョン・F・ケネディが第35代合衆国大統領に就任した6日後にホワイトハウスで撮影された写真で、彼女はその地位に就いて間も無いファースト・レディ、ジャクリーンの報道官としてここに立っている。まさしく家内に闖入した動物を見守るかのようなカメラマン達のちぐはぐな表情や、そうした現場の有様を巧みに捉えるべくシュッツァーがシャッターを切った理由は、しかし、単に新政権発足の浮き足だった雰囲気を報道せんがため、というわけでもなかったようだ。

率直に書けば、今ターナーについて検索して出てくる情報の8割以上は「JFKと寝た女」、より正確には「JFKと寝た女のうちのひとり」というものである。しかしモンローやキム・ノヴァクとも浮名を流した稀代の色情狂JFKの愛人としての存在感はあまり目立つものではなく、たまたまこの写真に興味を抱いた者としてはいささかもの足りない。以下は別に新しいことではないが、せめてもの蛇足として付しておく。
なお先にネコについて述べておくと、JFKは愛猫"Tom Terrific/The White House Cat"こと"Tom Kitten"をホワイトハウスに連れて行ったが、少々調べたところでは"Tom Kitten"は「灰色」であることしか分からず、写真も見つからない*1。就任当初のプレスサービスの場で若い報道官が大事に抱えているところから、おそらくこの灰色っぽいネコが"Tom Kitten"だと思われるが、真相はよく分からない。

現代のようなファースト・レディのイメージ・マネジメントはケネディの代に始まった。このときに初めて大統領夫人に独立した報道官が設けられたのである。その具体的な職務内容は代によって様々であったが、これ以降の体制ではすべてこのケネディの先例が守られている。プライヴァシーに敏感だった大統領夫人(とりわけケネディニクソン両夫人)は、報道官を世間と適切な距離をとるために利用した。よりアクティヴなファースト・レディたち(特にジョンソン、フォード、そしてカーターの三夫人)は自分のイメージを鮮明でポジティヴなものとするために報道官を利用した。
こうしてこの職務は1961年に始まったのだが、その一番手であったパメラ・ターナーは23歳、しかもジャーナリズムの経験を欠いており、ややぎこちないスタートとなった。ワシントンのヴェテラン・リポーターのひとりは、彼女がこの職務について「自分が宇宙開発の陣頭指揮について有するのと同じ程度の能力」しかない、と衝撃を受けたという。それでも彼女はケネディ夫妻の双方から信頼を得ていたため、結果的に仕事が滞ってしまう。後から見れば、彼女は報道官というよりはホワイトハウス東翼(すなわちファースト・レディとそのスタッフの執務室)と大統領の報道官ピエール・サリンジャーの橋渡し役として機能していた。サリンジャーはファースト・レディについてもそのほとんどの情報を把握していたのである。ジャッキーについての質問は彼の方に回されたし、情報のアウトプットやそのスケジュールも彼が決めていた。例えばジャッキーが記した、子供たちを報道の目から守ってほしいという手書きの訴えも、受けとるのはターナーではなくサリンジャーだった。…

Betty Boyd Caroli, First Ladies, Oxford University Press US, 1995 p. 324.

というわけでどうやら彼女は合衆国史上初の大統領夫人付きの報道官である。ジャッキーと似ていることや議員時代のJFKがアパートに毎夜のように夜這して来たことなど、これに比べれば大仰に記憶されるべきことでもあるまい。同じホワイトハウス内の密通者であっても、実習生の身分で自らをマスコミに売り渡したクリントンの愛人などとは格が違う。
しかしながらFBIなどが把握していた事実としては、JFKとの関係は選挙戦の時期から就任後まで継続し、最期の年となる1963年までそれは変わらなかった。同時に彼女はジャッキーの下で働き、彼女とは事件後も親しい関係を何年も続けたといわれる。
事件後の1963年12月20日付けTime誌の"Change of Address"と題された記事は、夫の死後ジャクリーンが転居する予定であることを報じた記事。

妹のリー・ラズィウィルやキャロラインとわずかに外出するほかは、ジャクリーン・ケネディはほとんどジョージタウンに借りた自宅で人目を避けている。報道官のパメラ・ターナーが出入りし、配達員が訪れ、友人たちや親族が声を掛けにやってくるのみである。…

その末尾。

ジャッキーは1月中旬までにはジョージタウンの家へ越すはずである。しかしその後は? 外国へ旅行に出るだろうか? 1964年は先週噂になったように政治に関わるのだろうか? いいえ、とターナー報道官は述べている。ケネディ夫人は夫のために一年いっぱい喪に服す計画であり、喪服を着用し、公的な活動は行なうことはありません、と。

The Capital: Change of Address - TIME

彼女は何を思いながらこれを伝えていたのだろう。
この写真に人はジャクリーンの面影を重ねてJFKの旺盛さを見たのだろうか。初々しい報道官を通じて新たな時代の船出を見たのだろうか。あるいは、若き希望の人JFKを巡る不思議な人間の関係を見ていたのだろうか。そうした様々な意味の絡み合いは現在の我々の目にも届いているが、そのすべてを同時に引き受けるというのはおそらくパメラ・ターナーがひとり成しえたことである。
やや心残りなのは、その場の誰ひとりとしてこのネコなど眼中になく、ホワイトハウスに登場したこの動物について確証のあるキャプションが残されていないことだ。

なお、これらの写真を撮影したパウル・シュッツァーは1967年6月5日、中東でイスラエル軍に同行して取材中、まさにその日に勃発した第三次中東戦争においてエジプト軍の砲撃を受けて死亡している。享年37。以下のTime誌のページに回収された最後のフィルムを含む取材の道行が紹介されている。

*1:なお"Tom Kitten"は1962年8月21日に亡くなり、訃報は大統領報道官サリンジャーが公式に発表している。JFK関連のペット情報はこちらなどを参照。"Tom Kitten"は娘キャロラインのネコである。ほかにも馬からハムスター、カナリアまでいろいろ。また90年代に行なわれたオークションでは"Tom Kitten"の写真が1万3000ドルで落札されている。参考