夜警の肖像_1:クリストフ・マイリ

1997年、クリストフ・マイリ(Christoph Meili, 1968.4.21)は警備会社Wache AGに所属する夜警として、スイスユニオン銀行(UBS)チューリヒ店に勤務していた。1月8日の夜、マイリは地下を巡回する途中に書類処分用の作業室を訪れ、運び込まれた二つの大きなワゴンに1875年にまで遡る銀行台帳がうず高く積まれているのを発見する。これらはUBSに買収される以前のスイス国民銀行(Eidgenossiche Bank)のものであった。すでにシュレッダーにかけられたものがそれぞれ縦横約1メートル、深さ60センチメートルほどの大きな箱三つに詰められており、この他に子供の背丈ほどのゴミ袋が二つあった。一見したところ、書類の中には、ユダヤ人による1930年代から40年代の破産手続きおよび資産の強制売却に関する資料が含まれていた。マイリはダマトの調査*1や世界ユダヤ人協会(WJC)の主張を報道で知っており、その知識に照らした結果、この種の書類を処分するのは不正であると判断した。後の回想によれば、この時マイリは映画『シンドラーのリスト』の一シーンを想起していたという。続く二晩でマイリは書類の内容を検討し、このうちの二冊をコートの下に隠してロッカーへ隠匿、機会を待って自宅へ持ち帰った。書類の内容は口座台帳や契約書類、およびドイツの抵当物件に関するものであった。
マイリは妻にこれを見せ、二人は当初ベルンのイスラエル大使館に委託しようと連絡をつけたが、先方が関心を示さなかったため、これらの資料はジャーナリストを介してユダヤ人協会へ、そして1月10日にはチューリヒ警察へ渡ることとなった。
間も無く警察はUBSによる書類破棄の触法疑惑*2に加えて、マイリの行為がスイスの銀行法が定める銀行の守秘義務を侵害するものとして捜査を開始した。書類の処分行為についての最初の公的な発表は警察から行なわれ、UBS取締役代表ロバート・スチューダーは直ちにテレビ放送に出演、自分の把握の下でUBSがその書類を処分していたことを認めた。UBSは内部連絡の不備によりアーカイヴィストと副社長アーウィン・ハーゲンミュラーホロコースト時代の資料破棄が違法化されたことを知らなかったと主張した。
警備会社を解雇され、刑事犯として捜査対象となっていたこの時期、マイリは殺害の脅迫を受けるようになる。同じころダマトは委員会で証言を行なうようにマイリに求め、またアメリカ人弁護士エド・フェイガンがアメリカへの政治亡命を説得していた。マイリがスイス国民から反感を買うようになったのは、スイスの銀行の暗部を暴くことに積極的だったダマトとマイリが接近し、アメリカ人弁護士の同伴によりアメリカで証言を行なうようになっていたという事情がある。
1997年7月、アメリカ議会はマイリとその家族に永住権を与える特別措置を採択し、大統領ビル・クリントンの署名によりこれが実現、マイリとその家族はアメリカ合衆国政治亡命を行なった唯一のスイス人となった。1997年10月、チューリヒ検事局がUBSに対する訴追を取り下げると同時にマイリに対する捜査も停止された。
1998年1月13日、フェイガンはマイリとその妻の代理人として、UBSに対し「1997年1月7日以来現在までにUBSとその代表者の行為に由来する損害に対する100万ドルの補償、および1997年1月8日の破棄資料に関連した情報を復帰するための10億ドルの拠出」*3を求める訴訟を開始。8月13日に両者はマイリへの訴追の取り下げおよび12.5億ドルの支払いで和解に至った。
1998年3月当時、マイリはニュージャージーの狭いアパートに家族四人で生活し、再び警備員として就職してその生活を支えていた。これを聞き及んだホロコースト経験者の協会「1939年クラブ」はマイリに勉学の機会を与えるべく活動し、マイリは1999年7月、奨学金を申し出たカリフォルニアの三大学のひとつ、南カリフォルニアのチャップマン大学へ進学する。通信科学を学んで2004年5月に学位を取得、卒業後は再びセキュリティ業界に職を得ている。この間の2002年には海軍の予備役に参加、2002年2月に離婚している。
マイリは2003年まで母国に帰っていないが、2003年9月にスイスの家族を訪ねた際、スイス紙に対してフェイガンは自分を利用し最終的に裏切ったとして非難した。これによれば、1998年のスイス銀行との和解の後に受け取るはずであった100万ドルを彼は受け取っていないと述べている。一方で2002年3月15日、裁判所は、1998年8月の和解金の一部100万ドルで設立されたスイス人互助基金に対し、77万5千ドルをマイリの価値ある行動とその代償への補償として贈与するように命じている。その大部分はマイリの子供達の教育費に充てられている。
マイリは2005年5月14日アメリカ市民権を取得。2006年10月21日のスイス紙のインタビューでは、一度もてはやしておきながら裏切ったとして、再びフェイガンとユダヤ人協会に苦言を呈した。現在マイリは南カリフォルニアに在住し、法定の最低賃金で働いているという。
[2008.12.2改稿]

参考:

  • Jane Schapiro, Inside a Class Action: The Holocaust and the Swiss Banks, Terrace Books, 2003, pp. 79-81.
  • Elazar Barkan, The Guilt of Nations: Restitution and Negotiating Historical Injustices, JHU Press, 2001, p. 100.
  • Michael J. Bazyler, Holocaust Justice: The Battle for Restitution in America's Courts, NYU Press, 2005, pp. 17-21.
  • Gregg J. Rickman, Swiss Banks and Jewish Souls, Transaction Publishers, 1999, pp. 122-123.
  • A Chronology Of Events | FRONTLINE | PBS
  • http://www.aldamatohome.com/
  • http://www.1939club.com/

*1:1996年4月23日、アメリカ上院の銀行・住宅・都市委員会において上院議員アルフォンス・ダマトを座長とするスイス銀行ホロコースト関連問題の調査委員会が発足。ダマトは11月15日に報告を提出し、戦中にナチスがスイスの銀行に同調者を配置して秘密口座の情報収集を行ない、これをユダヤ人等の口座を接収するために利用していたことを証明した。またダマトは合衆国政府に対して1946年のワシントン合意(スイスが欧州再建のために5,801万ドル相当の金地金を拠出することと引き換えに、連合国は戦中にスイスがドイツから受け入れた財産に関する追求を停止するというもの)の見直しを求めるなど積極的に活動した。ダマトの仲介によりマイリもこの委員会で証言している。

*2:この処分行為の数ヶ月前、戦前戦中期の金融関連資料の破棄を禁止する法律が発効していた。

*3:Inside a Class Action, p. 190.