夜警の肖像_2:フランク・ウィルズ

フランク・ウィルズ(Frank Wills. 1948.2.4-2000.9.27)は1971年にワシントンD.C.を訪れ、週給80ドルの警備員の職に就いた。翌年、彼はオフィスビルウォーターゲート」で深夜から朝7時までの夜警のシフトに登録する。1972年6月17日の夜、ウィルズは地下駐車場から階段室までの2枚のドアの錠に粘着テープが貼られているのを発見。清掃業者の作業の跡であると思ったウィルズはテープを除去した。しかしおよそ1時間後に巡回した際、テープは再び出現していた。ウィルズは直ちに警察へ通報、間も無く到着した3名の警察官は同ビルの民主党本部で、外科用手袋をし盗聴装置を持っていた5名の男を逮捕した。この事件はアメリカ史上初の現職大統領辞任へと展開するスキャンダル、世にいうウォーターゲート事件の発端となる。
ウィルズは事件の前後を問わず裕福な生活を送っていたとはいい難い。事件の後、昇給が認められなかったため警備員の職を辞すが、政府の目を嫌って彼を雇う人間は少かった。一時はコメディアンで政治活動家のディック・グレゴリーの下で働き、トーク・ショーなどでも収入を得ていたが、これが定職となることはなかった。こうした中1976年のアラン・J・パクラの映画『大統領の陰謀』(All the President's Men)に自分自身の役で出演(映画冒頭、セリフのない数カット)。曲折を経てジョージタウン大学の警備の職に就くが、1983年、12ドルのスニーカーを万引したとして逮捕、有罪となり1年間服役している。彼は店内で鞄に商品を入れたことは認めたが万引の意思を否定しており(店主はウィルズが店を出る前に拘束した)、その経緯から人種的なバイアスが疑う声もある。
1990年に心臓に憂慮のあった母親の世話をするため地元の南カリフォルニアへ帰郷。彼らの収入は母親が受けていた月450ドルの生活保護のみであり、電気代が払えなかったため二人の家には電灯がなかった。1992年に母親が死去した際には埋葬の費用さえ工面できず、遺体を献体とした。この後生活は悲惨なものとなり、街の公共水道で衣服を洗うことさえあったという。
2000年9月27日、脳腫瘍によりジョージア州オーガスタで死去。52歳、無一文だった。
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