Buffalo WLI-U2-G54HP on Mac

Buffalo の USB 無銭 LAN アダプタ WLI-U2-G54HPMac で使用するためのメモ。純正の Mac 用ドライバは存在しない。

  1. WLI-U2-G54HP を接続してシステムプロファイラーで製品idと製造元idを確認。現時点で出荷されているものは
    • 製品id=217(16進数表示=0x00d9)
    • 製造元id=1041(16進数表示=0x0411)
  2. http://www.ralinktech.com/ralink/Home/Support/Macintosh.html http://www.ralinktech.com/support.php?s=3 からUSB(RT2870/RT2779/RT307X) USB(RT257x/RT2671) をダウンロードしてインストール
  3. /System/Library/Extensions/RT73USBWirelessDriver.kext/Contents/Info.plist を適当なエディタで開いて以下の項目を追加(すでに登録されている場合は必要ない。製品id等は確認した値を用いる。編集にはアクセス権の変更が必要な場合あり。)
<key>Buffalo</key>
<dict>
    <key>CFBundleIdentifier</key>
    <string>com.Ralink.driver.RT73</string>
    <key>IOClass</key>
    <string>RT2573USBWirelessDriver</string>
    <key>IOProviderClass</key>
    <string>IOUSBDevice</string>
    <key>bcdDevice</key>
    <integer>1</integer>
    <key>idProduct</key>
    <integer>217</integer>
    <key>idVendor</key>
    <integer>1041</integer>
</dict>

再起動して WLI-U2-G54HP を接続すると USBWirelessUtility が起動して各種設定ができるはず。

ASUS の WL-167g を使用していたため Info.plist を編集したのみで使用可能になった。WL-167g と比較すると感度がよい。

WLI-U2-G54HP on KisMAC

Buffalo のUSB無線LANアダプタ WLI-U2-G54HP が Kismac に対応していたというメモ。ドライバは rt73 用で動くので Chipset は Ralink 73 の模様。「ハイパワー」と謳うだけあって感度もわりと良好。CUI から操作が必要な Aircrack と比較すると KisMAC は誰でもクリック数回で WEP クラックの実験/実行ができるという便利/面倒なソフト。

内部告発サイト

最近いわゆる「ブラック企業」を告発?するソーシャルサイトが作成され、直後に休止されたようだ。「はてブ」などの反応を見ると、趣旨としては賛同できるが企業からの反応には対抗できないだろうとの観測が多いように見うけられた。ベータ版でとりあえずサービス開始→反応を見て展開を決定といういわゆるひとつの Google メソッドにならったようだが、リスクの想定が容易なだけに少し稚拙なやり方だと感じる。

前例として Wikileaks.org は参考になるだろうか。ほとんど国家レベルの「敵」を作っている Wikileaks と「ブラック企業告発サイト」とは規模・人材・精度・影響力などあらゆる意味で比較にならないだろうが、密告サイトという非公開の情報を暴露するメディアのあり方としては参考になる。私見ではこの種のサイトに最も求められるのは信用であり、そのためには確実な情報提供者の保護と公開情報の吟味が不可欠である。原則的には法執行機関の要請に対しても情報提供者が秘匿されるようなシステム構成にするべきだろうし、公開情報が虚偽であった場合の信用失墜は極力避けなければならない。

Wikileaks では技術的に情報の提供元を「追跡不可能」としている。具体的には PGP や Tor を独自に改良して運用、匿名通信が可能な場所からの通信や郵便との併用を推奨、サーバはログを残さない、ファイルは暗号化され改竄も検出する、サーバは報道機関への保護が手厚いスウェーデンで運営する、など*1。これによりソーシャルにハックされて Wikileaks 組織の内部にスパイが潜入できたとしても、情報源の特定は不可能と述べている。これまでの唯一の失敗としては、提供された画像ファイルの解析によって撮影場所と撮影機材が推測され、これをもとにソーシャルな手法で情報提供者が割れたということがあるようだ。

人材的な意味での Wikileaks の強みは上記のようなサイトを運用できる技術力に加えて、情報の分析能力が非常に高い点である。Wiki と付いているが 実際に Wiki 的に運用されているのは公表された情報の分析記事の部分で、何を公表するかという決定は専門知識を持つスタッフが行なっている*2。世界中の政治・経済・企業などのネタを扱っているが、いまのところガセネタに踊らされたことは皆無と述べている。分析記事も高度なものが多い*3

Wikileaks では世界的な視点から見て政治的・倫理的に重大な案件でない限り公表対象にしないので*4、日本の企業の労働条件などのもっとローカルな情報を扱う受け皿はあってもよいとは思う。重要なのは第一に告発者の保護、第二に企業サイドの干渉からの運営者の独立だが、とりあえず人材を投入せずに運営するならば公表情報を集約・分析するサイトにするのが無難かも知れない。それでも潜在的な法的リスクに防御的な Wikipedia やソースのない情報が飛び交う 2ch とは差別化できるような気がする。投稿者をどうやって保護するかが明確でなく、サイトの信用もない間は完全にソーシャルなサイトとして運営してもおいしいネタは集まらないだろう。

*1:余談だが日本の誇る Winny の技術もこうした面には貢献できるかも知れない。

*2:ひとつだけ気になるのは、この Wikileaks 自体が何らかの情報機関の窓口になっているかも知れないという可能性。サイトでは自ら CIA 等とは関わりがない、と述べているが。

*3:その書き方を指南している Writer's kit は一般的な記事の書き方としても参考になる。

*4:日本のネタで掲載されているのは「もんじゅ」事故の際の証拠映像くらいだったが、最近、日本も参加している ACTA の合意事項のドラフト(非公表)も掲載された(ACTA = 模倣品・海賊版拡散防止条約)。

ネコ写真_5:ポール・ボウルズ

ボウルズとその猫Dubs(Dubz)。1956年タンジールにて、Herbert List撮影。…という写真を見つけたが、掲載先が転載に気を使っているのでリンクのみ。大きくてよさげな猫。
http://www.paulbowles.org/photosfriendstwo.html
その猫ダブズの話。後にジェーン・ボウルズの評伝で知られることになる友人ミリセント・ディロンとの会話。
※下の写真の猫は関係のない猫。

「ある日、ジェーンの具合が悪かった時期だから68年か69年ごろ、あなたとシュクリがジェーンのアパートを訪ねたという話よ。私はジェーンの家は知らないから、ひょっとすると単に違う部屋へ行ったということかも知れないわ。いずれにせよ猫が窓台に座っていて、シュクリが言うにはジェーンの猫じゃないけど彼女が世話していた猫ってことだったわ。で、シュクリは、あなたが窓から猫を突き落としたって言うのよ。」
「僕が何をしたって?」ポールは信じ難いという顔で聞いた。「窓から落した?」
「こんな感じで」私は手で落す仕草をやってみせた。「あなたが窓から猫を突き落して、猫は地面に落ちて死んだと。」
「彼は本気で言っているの?」
「そう信じてるわ。私もシュクリに『ありえない』って言ったんだけど。」
「まったくだ。」
「でも彼が言うには『本当のこと』ってことよ」私はシュクリの声色で言った。ポールは笑う。
「ひょっとしたら犬だったかも」と私は冗談を言う。
「僕はいかなる動物でも窓から落としたりはしないよ」ポールは苦々しく言った。
「知ってるわ。でもシュクリみたいな男ならどう? 彼は神話を語る才能があるのかも知れないわね。」
「知らん。でも酔っぱらったらありうるかもな。僕は飲まないけど。」
「その話で不思議なのは」ちょっと間をおいてポールは続けた。「僕の猫ダブズの運命だな。アメリカかどこかへ行ったときにアン・ハルバッハに預けて行って、帰ってきたときにジェーンと一緒に真っ先にアンの家に引き取りに行ったんだけど、アンは『ダブズは窓から歩道に落ちて死んだわ』って言ったんだ。悲しかった。その話で思いつくのはこのことだけだ。まったく変な話だ。」
「シュクリはこれを本に書いてるかも知れないわね。」
「多分書いてるんだろうな。人が考えることは分からん」ポールは言った。

Millicent Dillon, You Are Not I: A Portrait of Paul Bowles, University of California Press, 2000, pp. 315 - 316.

そして別の猫フランシスの事を書いた手紙。たまたま見つけたものだが、なぜか悲しい話ばかり。

キャロル・アードマン宛
1974年3月23日、タンジー

木曜の午後にフランシスの新生活の様子を見に行ってAmichat*1でもあげてくる予定だったのだが、水曜日にアブデルアイドの父が亡くなったので全部取り止めになった。一方でムラベはマルタが家の前でフランシスを轢いて殺してしまう夢を見たようだ。彼の夢は珍しいことではないから別に驚きはしなかった。昨日ようやくマルタのところへ行ったところ、ひどく沈んだ顔のスージヤが出てきて「あの猫、死んだわ」と言った。聞いてみると、どうやらフランシスはあの辺の犬の一匹に喉をやられて、プレストン先生も救いようがなかったらしい。彼女が不服そうに言うには「あの木の隣、例の黒い猫を埋めたところへ埋めた」とのこと。モロッコにいた頃のことを思いだした。真夜中に黒猫を使った儀式が行なわれるというヴィジョンが脳裏を掠めるとき、マルタがイタリアにいるということだけが慰めだった。少なくとも、彼女に責任はないのだと。一方ムラベはこの事件のことを伝えると、頭を振って「プリンチェーザ(※マルタのこと)のせいだ。二晩前の夢で彼女がそう言ったんだ。轢いたと言ったけれど、本当は犬歯で喉に咬みついたんだ」と言う。ローマにいようといまいと関係ない。彼女がそこから手を下した。そうじゃない? などなど。マルタが一日中魔法に凝っていると言い張るブリオン・ギザンに聞かせたい話だ。いずれにせよ僕はひどくショックで悲しかった。彼はとても美しい猫だったし、それよりも何よりも君の猫だったからだ。何が起こったのかよく分からないし、何もかもはっきりしない。彼が死んだということ以外。彼をあそこを預けていたのは僕の落ち度だ。そこら辺の猫にAmichatを与えて、がっくりとして家に帰った。ムラベが予知夢を見たというのが一番神経に障る。伝えたいことはこれだけ。

Paul Bowles, Jeffrey Miller, In Touch: The Letters of Paul Bowles, Straus and Giroux, 1995, p. 458

*1:手近な辞書にはないが、おそらく ami + chat ということで猫にあげる食べ物か玩具か。

Aircrack、あるいはいまさらWEPの儚さとWPAの粘り強さについて

非専門家にとって無線LANセキュリティの「脅威」とされている脆弱さを試す手段は目下専門家が製作しているソフトを利用するくらいしか思いつかない。Aircrackなるソフトが提供しているドライバがたまたま所有していたUSB無線LANアダプタに対応していたため、試してみた。使用するのは件の無線アダプタと、AircrackのVMwareバージョン。ダウンロードした仮想マシンVMware上で起動し、USBを接続するだけでよい。ドライバ関係に気を使う必要がないので非常に手軽。WEP、WPAの各種攻撃法は本家のサイトに懇切丁寧に説明されている。

結果は、WEPについては

  • 攻撃時に最低一台のマシンがAPに無線接続されている
  • 物理的な距離が適切
  • MACフィルタリングしていない(MACも偽装は可能だが余計な手間になる)

という条件さえ充たせばWEPの暗号鍵解読は鍵長に関らず文字通り数分で完了、もはや障壁が存在しないも同然であった。

一方、WPAを完全に突破する方法として確立されているのは、実質的には辞書攻撃かブルートフォース・アタックのみである。上記の条件を充たせばハンドシェイク・パケットを入手することは数秒で可能だが、鍵の解読が現実的かどうかは別問題になる。たとえば出荷状態のままのネットブック環境では鍵の検証速度はせいぜい100個/秒程度であり、ネットで拾える辞書ファイルは数百万エントリーのものが普通なので一回りさせるだけでかなりの時間がかかる。そして当然ながらいかに巨大な辞書を用いても鍵が見つかる保証はない。例えば英単語やよくある姓名をそのまま使用するとしても、任意の3単語を連結すればおそらく対応できる辞書は存在しない。

素人の目でざっと調べた感じでは、現在のところ辞書攻撃を効率化するための手段はレインボー・テーブルの使用かマシンパワーの強化くらいしかなさそうである。そういうわけで、おそらく外出先でちょっとネットを拝借するといった比較的軽い動機の攻撃者に対してはWPAは未だにかなり有効である。パスフレーズの長さ・文字列・更新に注意すればわりとまともなセキュリティになる。

個人的には悪意を持ってセキュリティを無効化する者は何らかの疚しい情報を通信することが考えられるので、むしろフィジカルな電波の伝達範囲に注意してノーガードでパケットを記録していれば抑止力になるのでは…と思ったり、思わなかったり。WEPが障壁になっていると思い込むのが一番害が大きい。と、いまさら思ったのであった。

ネコ写真_4:パメラ・ターナー(Pamela Turnure)

1961年1月26日、ワシントンDC。写真家はパウル・シュッツァー。
ネコの名は不明。そしてネコを抱えている当時23歳のPamela Turnureの姓の発音をはたしてターナーと書くべきなのかもよく分からない。
ただ、彼女がなぜ居並ぶ記者の前に緊張気味に立っているかについては比較的よく分かっている。これはジョン・F・ケネディが第35代合衆国大統領に就任した6日後にホワイトハウスで撮影された写真で、彼女はその地位に就いて間も無いファースト・レディ、ジャクリーンの報道官としてここに立っている。まさしく家内に闖入した動物を見守るかのようなカメラマン達のちぐはぐな表情や、そうした現場の有様を巧みに捉えるべくシュッツァーがシャッターを切った理由は、しかし、単に新政権発足の浮き足だった雰囲気を報道せんがため、というわけでもなかったようだ。

率直に書けば、今ターナーについて検索して出てくる情報の8割以上は「JFKと寝た女」、より正確には「JFKと寝た女のうちのひとり」というものである。しかしモンローやキム・ノヴァクとも浮名を流した稀代の色情狂JFKの愛人としての存在感はあまり目立つものではなく、たまたまこの写真に興味を抱いた者としてはいささかもの足りない。以下は別に新しいことではないが、せめてもの蛇足として付しておく。
なお先にネコについて述べておくと、JFKは愛猫"Tom Terrific/The White House Cat"こと"Tom Kitten"をホワイトハウスに連れて行ったが、少々調べたところでは"Tom Kitten"は「灰色」であることしか分からず、写真も見つからない*1。就任当初のプレスサービスの場で若い報道官が大事に抱えているところから、おそらくこの灰色っぽいネコが"Tom Kitten"だと思われるが、真相はよく分からない。

現代のようなファースト・レディのイメージ・マネジメントはケネディの代に始まった。このときに初めて大統領夫人に独立した報道官が設けられたのである。その具体的な職務内容は代によって様々であったが、これ以降の体制ではすべてこのケネディの先例が守られている。プライヴァシーに敏感だった大統領夫人(とりわけケネディニクソン両夫人)は、報道官を世間と適切な距離をとるために利用した。よりアクティヴなファースト・レディたち(特にジョンソン、フォード、そしてカーターの三夫人)は自分のイメージを鮮明でポジティヴなものとするために報道官を利用した。
こうしてこの職務は1961年に始まったのだが、その一番手であったパメラ・ターナーは23歳、しかもジャーナリズムの経験を欠いており、ややぎこちないスタートとなった。ワシントンのヴェテラン・リポーターのひとりは、彼女がこの職務について「自分が宇宙開発の陣頭指揮について有するのと同じ程度の能力」しかない、と衝撃を受けたという。それでも彼女はケネディ夫妻の双方から信頼を得ていたため、結果的に仕事が滞ってしまう。後から見れば、彼女は報道官というよりはホワイトハウス東翼(すなわちファースト・レディとそのスタッフの執務室)と大統領の報道官ピエール・サリンジャーの橋渡し役として機能していた。サリンジャーはファースト・レディについてもそのほとんどの情報を把握していたのである。ジャッキーについての質問は彼の方に回されたし、情報のアウトプットやそのスケジュールも彼が決めていた。例えばジャッキーが記した、子供たちを報道の目から守ってほしいという手書きの訴えも、受けとるのはターナーではなくサリンジャーだった。…

Betty Boyd Caroli, First Ladies, Oxford University Press US, 1995 p. 324.

というわけでどうやら彼女は合衆国史上初の大統領夫人付きの報道官である。ジャッキーと似ていることや議員時代のJFKがアパートに毎夜のように夜這して来たことなど、これに比べれば大仰に記憶されるべきことでもあるまい。同じホワイトハウス内の密通者であっても、実習生の身分で自らをマスコミに売り渡したクリントンの愛人などとは格が違う。
しかしながらFBIなどが把握していた事実としては、JFKとの関係は選挙戦の時期から就任後まで継続し、最期の年となる1963年までそれは変わらなかった。同時に彼女はジャッキーの下で働き、彼女とは事件後も親しい関係を何年も続けたといわれる。
事件後の1963年12月20日付けTime誌の"Change of Address"と題された記事は、夫の死後ジャクリーンが転居する予定であることを報じた記事。

妹のリー・ラズィウィルやキャロラインとわずかに外出するほかは、ジャクリーン・ケネディはほとんどジョージタウンに借りた自宅で人目を避けている。報道官のパメラ・ターナーが出入りし、配達員が訪れ、友人たちや親族が声を掛けにやってくるのみである。…

その末尾。

ジャッキーは1月中旬までにはジョージタウンの家へ越すはずである。しかしその後は? 外国へ旅行に出るだろうか? 1964年は先週噂になったように政治に関わるのだろうか? いいえ、とターナー報道官は述べている。ケネディ夫人は夫のために一年いっぱい喪に服す計画であり、喪服を着用し、公的な活動は行なうことはありません、と。

The Capital: Change of Address - TIME

彼女は何を思いながらこれを伝えていたのだろう。
この写真に人はジャクリーンの面影を重ねてJFKの旺盛さを見たのだろうか。初々しい報道官を通じて新たな時代の船出を見たのだろうか。あるいは、若き希望の人JFKを巡る不思議な人間の関係を見ていたのだろうか。そうした様々な意味の絡み合いは現在の我々の目にも届いているが、そのすべてを同時に引き受けるというのはおそらくパメラ・ターナーがひとり成しえたことである。
やや心残りなのは、その場の誰ひとりとしてこのネコなど眼中になく、ホワイトハウスに登場したこの動物について確証のあるキャプションが残されていないことだ。

なお、これらの写真を撮影したパウル・シュッツァーは1967年6月5日、中東でイスラエル軍に同行して取材中、まさにその日に勃発した第三次中東戦争においてエジプト軍の砲撃を受けて死亡している。享年37。以下のTime誌のページに回収された最後のフィルムを含む取材の道行が紹介されている。

*1:なお"Tom Kitten"は1962年8月21日に亡くなり、訃報は大統領報道官サリンジャーが公式に発表している。JFK関連のペット情報はこちらなどを参照。"Tom Kitten"は娘キャロラインのネコである。ほかにも馬からハムスター、カナリアまでいろいろ。また90年代に行なわれたオークションでは"Tom Kitten"の写真が1万3000ドルで落札されている。参考

中国で告発者を強制入院措置

これはまさしくイーストウッドのChangeling(2008)で描かれた1920年代のロスと同じ。世界が報じているということだけはマシなのかも知れないが。