グルジアの赤いハンカチ:ブッシュ暗殺未遂事件の顛末

概略



ジョージ・W・ブッシュ暗殺未遂事件が起こったのは2005年5月10日、グルジアの首都トビリシの自由広場でのこと。
グルジア大統領ミハイル・サーカシヴィリとともに演台に立つブッシュに向けて、群集に紛れていた当時27歳のウラジミール・アルチュニアン(Vladimir Arutyunian, 姓はArutunianあるいはアルチュノフArutyunovとも)が手榴弾を投擲。爆弾は両大統領の夫人などの席に落ち、爆発しなかった。FBIの調査に基づいたグルジア警察の発表によれば、不発の原因は「赤いハンカチできつく包みすぎたため」であった。
グルジア当局は当初手榴弾は訓練用のもので爆薬は含まれておらず、犯行の狙いはメディアの関心を惹くためのものであったという見解を示したが、FBIの調査によればこれは実弾であり、見物人に当たらずに固い地面に落下していれば爆発の可能性があった。またグルジア当局はブッシュに直接の危険はなかったとしたが、同じくFBIによれば「両方の大統領および周囲の人々に危害を及ぼすものだった」。
2005年7月18日、グルジア内務大臣ヴァノ・メラビシュヴィリは被疑者の写真を公開し、150,000ラリ(83,000ドル)の懸賞を提示して情報提供を募集。その二日後、特務員一名の死者を出す銃撃戦の末アルチュニアンが逮捕された。自宅前で投降を指示されたアルチュニアンはこれに従わず脚部を銃撃され、反撃の末にトビリシ郊外の森へ逃走を図ったが、およそ一時間後に増派された特殊部隊により拘束され、病院で犯行を認めた。このとき彼が向かっていたのは森の中に放棄された第二次世界大戦当時の地下バンカーであり、武器および食料などが貯蔵されていたという。

実行犯

ウラジミール・アルチュニアンはトビリシ郊外で元フランス語教師の母との二人暮らしであり、母が地元の市場でナプキンを販売して生計を立てていた。自宅の納屋にはさまざまな化学物質や爆薬、毒物、軍事教本や無線傍受装置を所有しており、この中にはロシア語訳の『ジャッカルの日』があったという。
アルチュニアンの出自に関しては明確な情報が少ない。トビリシで1978年3月12日、アルメニア系の家に生まれたグルジア市民であり、父と兄を1991年のアゼルバイジャンアルメニアの紛争で失ったとされている。この二人はいずれもテロ活動への関与が疑われて処刑されたとされ、生命の危険を感じた母親は職を辞してウラジミールを連れ、再び難民としてグルジアに移ったといわれている。アルチュニアンがブッシュ暗殺を計画した理由のひとつには、父と兄を奪ったアゼルバイジャンアメリカが強い連帯を結ぼうとしていたことがあると考えられている。
アルチュニアンは逮捕直後、病院でのインタビューでチャンスがあれば何度でも繰り返すだろうと語り、その理由は「ブッシュが下衆野郎だから」としている。背景には親米路線をとるグルジア政権への敵愾があると推測されたが、動機については語らなかった。手榴弾の破片が防犯ガラスで防がれないようにガラスを直接狙わずに頭上を狙い、防犯ガラスで囲われたエリアの内部での爆発を意図していたこと、つまり明確な暗殺の計画であったことを認めている。
2006年1月11日、トビリシ市裁判所は殺人未遂、公務執行妨害、違法銃器所持、グルジア公務員および外国人を標的にしたテロなど8の罪状で全員一致の有罪と認め終身刑を宣告。12月27日の公判ではアルチュニアンは唇を縫い合わせて出廷した。弁護人によればこれは拘束中の人権侵害への抗議のためであった。判決の後、自分をテロリストあるいは反グローバリズム主義者と考えるかというジャーナリストの問いに対し、「自分がテロリストであるとは考えない。私はただ人間であるだけだ」と応えた。
2007年4月、インタファクス通信はアルチュニアンがイスラム教へ改宗する意向との報を伝えた。

いくつかの事実

榴弾はロシア製のRGD-5で、タータンチェックの赤い布でくるまれていた。爆弾は見物人の父親に肩車をしてもらっていた子供の頭に当たり、その足元に落ちた。ブッシュからの距離は18.6メートル、この手榴弾が持つ半径20メートルの殺傷能力の範囲内であったとする報道と、100フィートすなわち約30メートルとする報道がある。最初に投擲に気がついた警備兵士が自らの体を用いつつ爆発を遮蔽して被害を防ごうとしたが、結局不発に終わった。アルチュニアンがピンを抜いた際に起爆装置にハンカチの布地が挟まり、着火機構が激発に十分な速度をもって動作しなかったのである。
事件の直後、在トビリシアメリカ大使館のFBI責任者を中心に、ブタペストやパリなどのヨーロッパ中のエージェントを動員した特別捜査体制が敷かれた。広場に集まった数千の群集の写真分析が行なわれ、容疑者とされる写真がメディアを通じて公表された。アメリカから急派された専門家グループは手榴弾を包んだハンカチを分析し、実行犯のDNAを検出することに成功した。逮捕後の調査の結果、このDNAはアルチュニアンのものと一致することが確認されている。聴取を受けたグルジア女性のひとりはやや季節はずれの上着を着て赤いハンカチをもっていた男について証言し、公表写真の男を特定する手かりを与えた。内務省は、懸賞金は情報提供者複数に分配されると発表したが、その人数などは明かにされていない。
捜査当局は単独犯との結論を出したが、貧しい境遇のアルチュニアンが豊富な武器を調達できたこと、地下バンカーに備蓄を行っていたことなどから背後関係を疑う見方もあり、90年代以降のグルジア情勢と、この地域でのチェチェン関連のテロ組織やアルカイダを含む国際テロリスト活動を考慮すれば、この推測は妥当なものである。

だがそれはアルチュニアンが爆弾を温めていた赤いハンカチとはおそらく関係がない。

参考: